【イギリスの暮らし】イギリスの紅茶の歴史とアフタヌーンティー

現代では日本でも、カフェやショップで沢山の種類を目にする紅茶。
イギリスにおいても、紅茶文化ができるまでには様々な歴史がありました。このコラムでは、イギリス文化や紅茶のある暮らしについてご紹介させていただきます。

紅茶の歴史

お茶の歴史は中国から

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お茶の樹は、椿科の常緑樹で、原産地は中国の雲南省からチベット、ミャンマー辺りだとされています。
葉は楕円形で、互生し、秋には白い花をつけます。栽培品種は、中国種とアッサム種に分けられ、製造工程の違いにより紅茶、緑茶、ウーロン茶というように違うお茶になっていきます。紅茶は葉を完全に発酵して作り、緑茶は発酵させずに蒸したり煎ったりし、発酵時間を短くして作るのがウーロン茶となります。

イギリスへもたらされた紅茶

東洋の産物であるお茶をヨーロッパにもたらしたのは、当時の経済大国オランダです。イギリスには、1650年頃になりオランダ経由で伝えられました。当時のお茶は、宮廷を中心とする上流階級の間で、オランダやフランスを真似たファッショナブルな飲み物として愛好が始まり、飲茶の習慣は18世紀初めにようやく家庭の中にも入っていきました。イギリスがインドを確保し世界貿易の覇者へと成長していく過程で、お茶はイギリスの東インド会社によってますます多く輸入されていきました。

18世紀初め、お茶愛好者が広がる中現れた代表的な会社が「トワイニング」です。初代トーマスが1706年にロンドンで世界初の紅茶店「トムズ・コーヒーハウス」を開店し、17年には、「ゴールデン・ライオン」という茶葉販売店を開業。以来、現在に至るまでの約300年、連綿と茶販売をつづけているトワイニング社の歴史は、イギリスのお茶愛好の歴史だと言われています。

イギリスでの紅茶文化の始まり

朝のモーニング・ティー、11時のティー・ブレーク、ランチのお茶、アフタヌーン・ティー、お休み前のお茶。
その中でも有名なのが「アフタヌーン・ティー」と呼ばれる、午後のティータイムの習慣だと言われています。

イギリスでの紅茶文化の浸透

17世紀半ば英国では、労働者階級の飲酒が社会問題となっていました。
オランダから輸入されたアルコール度の高い安酒のジンが流行し、国内でも製造が許可されると、多くの労働者たちがアルコールの誘惑に溺れました。そこで、政府は薬としても知られていた「茶」の愛飲を推奨しました。上流、中産階級の家庭では、雇用人がお酒に溺れ道を外さないように、使用済みの茶殻を労働者が家庭に持ち帰ることを許していたそうです。お茶は、二煎目、三煎目と淹れることもでき、(香り、味は損なわれてしまいますが)沸騰させたお湯で淹れることにより、生水より安全性が確保されることが労働者に受けいれられました。

しかし、19世紀にはいると、急速に進んだ産業革命により都心に人口が集まり、労働者の生活環境は悪くなっていきました。慣れない都心での生活、長時間勤務によるストレスから、再び労働者階級の飲酒が社会問題となります。犯罪、騒動などから労働者を救うため、1830年「禁酒協会」が設立され絶対禁酒運動「ティートータル」をスローガンに大規模な活動が始まりました。それから、職場の懇親会などの席でも、飲み物のメインがお茶となりました。この活動を通し、それまで貴族的なイメージの強かったお茶は労働者の日常にも欠かせないものとなっていきました。

ヴィクトリア朝のアフタヌーンティー

ビクトリア女王とアフタヌーンティーの定着

ゲストがいる日は、自宅のカントリーハウスの応接間を開放し、小菓子を食べながらお客様と歓談をする社交を楽しみました。ウーバンアビーを訪れたヴィクトリア女王もアフタヌーンティーでのおもてなしを受けて、これを気に入り推奨したことから、英国のお茶の習慣として、定着していきました。

アフタヌーンティーは家庭内の基礎

お茶会のホステスである女主人は、お客様に随時お茶を注ぎながら、場が和むような接客をして、お客様を楽しませました。そして、アフタヌーンティーは、主に自宅にいる女性達が主役となり発展した文化です。居心地の良い環境でお客様をおもてなそうと、インテリアや食器に対して関心をもつようになります。

アフタヌーンティーは、家庭内の基礎と考えられるようになり、大人だけではなく子供の情報教育にも活用されていくようになりました。

おわりに

かつては、上流階級の方しか口にすることができなかった紅茶、今は家族やお友達、一人でも紅茶時間を楽しむことができるようになりました。居心地の良い空間で、好きな食器を使用し、テーブルにお花を飾って紅茶時間が楽しんでみてください。